運命を変える学びとの出会い ‐ 20代の頃から他人を深く理解するスキルや何か新しいものを得たいという強い欲求がありました。
陰陽五行論との運命的な出会い
神道系の家系に生まれ、家族がどのような仕事をしているのかを日々肌で感じていた私は、
20代の頃から他人を深く理解するスキルや何か新しいものを得たいという強い欲求がありました。
それは家業が一般の神社とは異なり、苦悩する人々へのアドバイスや助言に大きな労力が注がれているのを目の当たりにしてきたためです。
「自分には無理だ」「見えない、感じない」「アドバイスはレベルが高い」からこその葛藤だったと今更ながら思います。それは会社員生活の頃も頭の片隅にはあり、そういったアンテナは張っていました
会社員としての生活を終えた後、私はさまざまなセミナーや説明会に積極的に参加するようになりました。
SNSで情報を得ると、自己啓発系やスピリチュアル系の説明会にも足を運びました。今となっては言えますが、自分に枠を設けて”行く行かない”を判断しなくて良かったと思います。
いろいろなセミナーや説明会に参加していると、たくさんの気付きがあるものです。
私は自己啓発や自分磨きと、客観的な人の見方を同時に学べる内容を探し始めました。そんな都合の良い学びはないと思いながらも、常にアンテナは張っていました。
どれくらい時間が経ったかは忘れましたが、Facebookを見ていた時にたまたま気になる広告を目にしたのでした。
名前は「陰陽五行論塾」とあり、このキーワードにピンと来てすぐにネットで詳細を検索しました。調べた内容の全ては覚えてませんが陰陽師の手法が頭に残り、たまたま新潟で無料入塾説明会があったので思い切って申し込みました。この時、開運への関心が高まっていた時期でもありました。後日談にはなりますが、“神主と陰陽五行論”、なんとなくフィットするなと思ったのもその頃だったと記憶しています。
何度もこの手の説明会に参加している私でしたが、この塾の説明会はいつも以上に緊張していました。事前に生年月日を伝えていたことも気になっていましたし、どんな内容なのかも見えませんでした。
今であれば当たり前(慣れた!?)ですが、浮世離れした塾長の講義は今まで受けたことのないほどの衝撃があり、驚いたのが正直な感想でした。よくよく聞けば当たり前のことや普通のことを言われているのですが「実際やっているのか?」と言われると、知っているけど実践していない自分に気付く時間となりました。また、人には生まれ持った宿命があり、それを現実世界、生きることに使っていくことが自身の開運の鍵となると説明を受けた時には、正直言うと半信半疑でした。
所要時間90分くらいの説明会でその場で入塾する方もいる中で、担当の方が私を見つけると「安達さんは即決しないとわかっています。それも宿命に出ているから大丈夫。またご縁がありましたらお会いしましょう!」と言われました。
セミナーや塾の説明会は通常、最後に入会を促すクロージングが付き物ですので、その日は拍子抜けした気持ちで帰宅しました。でも即決しないと決めていたことを見透かされているようで、その見立てはどこが源泉になっているのかも気になり出していました。
帝王学で自分を磨き、宿命の勉強で客観的に人を見る手法が学べる。私が求めていたものに一番近い学びを学ぶべきか、悩みに悩み入塾を決意しました。
担当の方に入塾の意思を伝えると「これからわかることだけど、安達さんのバイオリズムを見ると非常に良いタイミングですよ!」と言われましたが意味がわからず「ありがとうございます。よろしくお願いします。」と返事をするのが精一杯でした。
入塾からコロナ禍を経て宿命鑑定師へ
2018年8月に入塾したものの、学びは想像以上に困難でした。覚えることもいろいろあり、気が遠くなる日々で何かのせいにしては学びを遠ざけていました。漠然と、宿命を読み解ける人になりたい気持ちはありましたが、毎日生きるための資金を稼ぐことが第一優先で学びどころではないというのも正直ありました。
前段で私が学ぶことに適した時期だという要因は、天中殺期間であったこと、そして即決しないのはその傾向が強い干支(かんし)を宿命上持っていたということでした。
「宿命鑑定」についてはご興味ある方も多いと思いますのでまた別の機会に詳しくご説明させていただきます。
入塾から1年半が経過した頃、世界はコロナ禍に見舞われ、私たちの学びもオンライン化へと移行していきました。それと同時に私のやっていた家業以外の事業が思うようにいかなくなり、次第に仕事が減っていってしまいました。やることがなくなり、気付くと私には家業と塾の学びしか残っていませんでした。
しかし、これが開運への転換点になったのです。コロナ禍で講義全体がフルオンライン化されて、進みたい人が自由に進みたいだけ進める枠組みになりました。心が苦しく先行きが不透明な時に聞く塾長の言葉が自分の荒んだ心にどんどん入り込み、1日のほとんどの時間を学びに使い深めました。
本来であれば5年在籍しないと受験できない宿命鑑定師の受験の権利も、コロナ禍のおかげで大幅に早まり2021年の年末には受験することができました。
その後晴れて2022年2月22日に宿命鑑定師に合格することができました。
宿命鑑定師としての試練
宿命鑑定師と認定された私は多少心が浮ついていたと思います。
自分の事業が頓挫した中で、やっと自力で手に入れた認定資格です。会社員時代のマーケティング経験を生かしてどうやって宿命鑑定の販路を拡大するか、イベントや自分のブランディング、目先の売上ばかり考えていました。
そのすぐ後、新潟の担当者から連絡がありました。
「100人無料で鑑定してきなさい。」
「ん??この人(すみません。。。)何言ってんのかな???」
これは私の心の声ですが正直これが本音でした。
「10人は10人の、100人は100人の景色があるのよ。」
「100人終わるまでは有料で鑑定しちゃダメよ。」
このように太いクギを刺され、私の儚い野望はもろくも打ち崩されるのでした。
とは言え今思うと、私は浅はかな人間だったと思います。
100人の無料鑑定からの学び
無料で100人鑑定を命じられたのはなんとか理解できた私です。
しかし俯瞰してみると、100人を集客するのは無料とはいえなかなかのハードルです。
身内や知り合いにも限度がありますし、その前に鑑定できるかも不安でした。
いろいろと考えた末、ふとある人が頭に浮かびました。自分で進める案件ですが代表はまだ母親ですので、許可をもらうため話そうとしたその瞬間に
「こんにちは!」と玄関から声がしました。
これ実話なのですが、来られた方は私が頭に浮かんだまさにその人!で久しぶりに驚きました。
ちなみにこのような不思議な現象を「神縁」というのです。何の因果かわかりませんが敷かれたレールを歩くような、何かに導かれているという意味です。
お願いしようと思った方は新潟市の繁華街でバーを経営されている方で、事情を話して即OKをいただき、私のデビュー戦が決まったわけです。
なぜ私がバーで鑑定をスタートしようとしたかというと、動機は非常に単純です。それは酔っ払いの人と鑑定すれば、向こうから話してくれるから場が持つかなと考えたのです!
無我夢中だったので鮮明には思い出せませんがバーで鑑定をスタートしたのは成功でしたし、今でもその方には深く感謝しており、一生足を向けて寝れません。笑
少し自信のついた私はインスタグラムで無料鑑定の告知を始めました。
そこで思いついたのが「神主の宿命鑑定」というフレーズです。
世の中の神主さんで宿命鑑定をしている方を聞いたことはありませんし、何かそこで違いが出せないかと考えました。そのような形で発信すると少しずつお申し込みをいただきました。
「目の前の方に今できる精一杯で寄り添う」
塾長から教わったことをとにかく積み重ね続けました。
3月中旬からスタートした「神主の宿命鑑定」は4月末までで150名以上の方にお申し込みいただき、100人無料鑑定という課題をクリアしたのでした。
始める前はわかりませんでしたが、様々な人々との出会いを通じて感じたオーラや波動を掴めたことが、この体験から得られた最大の学びでした。
著者情報
マネジメント、人財育成、マーケティングを経験しながら不振店舗の業績回復、新規プロジェクト、研修講師、リクルートに数多く携わる。数年前から学んでいた康仁塾で鑑定師の資格を取得。
鑑定師として多くの悩み苦しむ方々のアドバイザーとして活動。