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一心さん「ご挨拶」 ‐ はじめまして。水原の一心さんの安達滋明と申します。

ご挨拶

はじめまして。水原の一心さんの安達滋明と申します。

本格的に家業を継いで約2年が経ちました。

現在は、ホームページやインスタグラムで当社の姿勢や考え方、開運のお話、神様やご先祖様への向き合い方を日々発信しております。当社が誕生して約150年になりますが、今までは宣伝活動は一切しないでご紹介や口コミでご縁をいただいておりました。しかし当社に50年以上毎月お参りに来られる方から

「世の中が今まで以上に難しくなってきて悩んでいる人、困っている人が本当に多いんだ。もっと宣伝して多くの人に知ってもらい悩み苦しむ人を助けてやって欲しい。」

この言葉に覚悟を決めてホームページやSNSで発信を続けております。
悩み苦しみ誰にも相談できない方に届くように、そんな気持ちです。

そしてこの度、当社をもっと身近に感じていただきたいとブログを始めます。

この中では、ホームページやインスタグラムではお話できないような内容を発信していきます!

今後ともよろしくお願いいたします。

発祥の起源

当社は現在の兵庫県丹波篠山市西古佐で発祥いたしました。

開祖(会社でいう創業者)は私の高祖父(私の祖父の祖父)にあたる安達太十郎でお茶の商人であったと伝え聞いております。信仰心に厚く岡山県にある黒住教に信心しながら奈良県生駒山にある大聖歓喜天(寶山寺)でも修行しておりました。

神(天照皇大神)、君(天皇陛下、皇室)、親(ご先祖様、両親)を一筋に大切にすることこそ最も正しい信仰をベースに「神心会」という名前でスタートしました。


当時目の前を流れていた川(篠山川)が「丹波の人取り川」と呼ばれ住民から非常に恐れられていました。

川が氾濫するたびに大きな材木が流れてそれを取り除こうとする者はそのまま濁流に呑まれたり、川に身を投げる者がいたりと多くの犠牲者が後を絶ちませんでした。

何人もの修行僧、易者、修験者、祈祷師がこの災いを鎮めに来ても犠牲者が増えるばかりだった明治15年1月6日から約9年間天照皇大神(伊勢神宮)と大聖歓喜天(生駒山)にて日夜修行、祈願を重ねたある日、開祖の枕元に大蛇が現れて「私は古来より篠山川に住む主神である。お前の信心の功徳によって、心を改め自ら天に昇り世の為、人の為に尽くす。」と言って姿を消しました。

またその時に大蛇が龍となって昇天したとの言い伝えもあり御祭神の自天龍大神はこの話が由来となっています。

その後は不思議と災難は無くなり、雨乞いの祈祷をするとすぐに雨が降るようになったと語り継がれております。


この話は兵庫県丹波篠山市市役所のホームページにも掲載されています。

「丹波の人取り川」と検索するとご覧いただけます。

一心さんの由来

水原の一心さんの正式名称を
宗教法人 神道神心教東北本部(シンドウ シンシンキョウ トウホクホンブ)と言います。

私はより多くの方に知ってもらいたいと考えた時に当社の正式名称では敬遠されると思いました。理由はここ最近世間を騒がせている宗教の問題です。世間の目がどうしても宗教という存在に偏見を持っているのは私でもわかります。

しかし当社は他の宗教団体とは一線を画しており、例えば入会や退会、毎月の会費やお布施、何かを強制させるような行事への参加などは全くありません。

お越しになりたい方がお越しになりたい時にお参りや相談に来る自由度の高い場所になります。

それを知ってもらうにはまずは1度体験してもらうしかありません。

そのためには名前をと考えた時に最初に浮かんだのが「一心さん」でした。

一心さんという名称は大昔からの当社の愛称で名付け親は私の曽祖父(祖父の父)である安達辰次郎が神、君、親と一心に敬うという信仰のベースと今でいうロゴマークを考えている時に心という字を漢数字の一で囲んだ遊び心から一心さんという呼び名が生まれたと聞いております。

いずれにせよ、昔からある相性がまさか令和の時代に屋号になるとは何かの因縁、縁起だなと感じます。また補足ですが水原の一心さんの水原(すいばら)は地名に由来します。

現在は町と村が合併して阿賀野市になりましたが、昔は水原町という名称でした。

昔から通われている方々は当社を水原、水原の神様と呼んでもらっています。

ある家庭では、「水原行くぞ!」とか「水原に相談して来い!」などもはや地名が呼び名になっています。

一心さんという屋号で今後やっていきたいと役員の皆さんに話をしたところ、
「水原」という地名を入れてくれというのが強い要望でした。

祖父が新潟へ

150年以上の歴史があり、兵庫県丹波篠山市が発祥の地とされる当社が新潟にいるのか?
その理由は私の祖父(安達三郎)が新潟の地に来たことなのです。

祖父は3人兄弟の3番目に産まれました。(だから三郎なのでしょう)

両親から「この仕事をやりたいなら違う所で」と言われ、兄(安達重太郎)に拝んでもらったそうです。

拝んで出た答え(ご神示)は東北だったそうです。

思わず「東北?????」となったそうです。そりゃそうですよね?縁もゆかりもない行ったこともない土地でと誰しも思いますよね。

そこから悶々とした日々が続いたある夜の夢に「天香山命」(あめのかごやまのみこと)が夢に出てきました。
そして東北地方で天香山命が祀られている神社を調べると新潟県西蒲原郡弥彦村にある弥彦神社があることがわかりました。「新潟なのか…。」と感じた祖父はインスピレーションで新潟行きを決意。

そこで祖母と出会い事業をスタートするわけです。

祖父は「自分は兵庫から来たよそ者」という感覚が強かったらしく自分が新潟の地で仕事をすることに感謝を形で示そうと毎月の月参りをスタートさせました。

新潟の地だから新潟の一宮(いちのみや)に感謝する。これも不思議なのですが越後一宮は夢に出てきた弥彦神社であり我々は祖父が決めた弥彦神社への月参りを未だに積み重ねております。

(もちろん正装で正式参拝です。)単純計算で800回以上参拝していることになります。

祖父の逸話はたくさんありますのでまた別の機会にお話しますね。

そして現在

現在は私の母(安達潔子)が代表として毎日悩み苦しむ方々に寄り添っています。

母も48歳からこの道に入りましたがキャリアは四半世紀を過ぎました。

体力はもちろん年々衰えてはいますが、直感力、霊力は相変わらずで母を慕う多くの皆様の道しるべとして日々奮闘しております。

ご自宅や会社に伺ってのお祓いは体力的な問題で今年3月をもって退きましたが、お越しになる方へのお祓い、ご相談はまだまだ現役です。

また2019年に生まれた私の長男がどういうわけか神様の仕事に興味を持ち2歳過ぎから月2回のお祭りにて神事を執り行っております。

見ていただければわかるのですが本人は真剣に取り組んでおります。

現在小学1年生の彼は、仕事後の食事を「格別だ!」と表現するなど、ユニークな一面を持っています。今小学1年生ですが、仕事終わりの食事が「格別だ!」と言っている少し変わった面白い一面もございます。

お仕事用の名前は「チビ神主くん」と名付け、今では驚かれることもなく一心さんの一員として立派に役割を果たしてくれています。

私はというと、日々教えを体験体得しながらご縁ある方に今出来る精一杯で寄り添っております。また別の機会にお話しますが、5年前より陰陽五行論と帝王学を学び、その中で宿命鑑定師の資格も取得しました。「神主の宿命鑑定」として今後も生きるヒントやテーマそしてクリアな波動を鑑定を通してお伝えしていきます。

生まれて初めてのブログはいかがだったでしょうか?

これからもご覧になる皆様のための投稿を続けて参ります。

次回も是非お楽しみにお待ち下さい!

日々の心がけや一心さんの教えは、インスタグラムでも発信しております。
是非一度ご覧ください。

著者情報

著者情報
安達 滋明神道神心境 東北本部 神主

マネジメント、人財育成、マーケティングを経験しながら不振店舗の業績回復、新規プロジェクト、研修講師、リクルートに数多く携わる。数年前から学んでいた康仁塾で鑑定師の資格を取得。
鑑定師として多くの悩み苦しむ方々のアドバイザーとして活動。

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