読みもの

自天龍大神さまの、はじまりのおはなし

蚕を育て、国を富ませようとした人

いまから百五十年ほど前のことです。

丹波に、安達太十郎という人がいました。
太十郎は、伊勢の神宮にお祀りされている皇大神さま——お伊勢さま、お日勢さまのことを、人々に説いてまわりました。

その教えの芯は、とても簡単なことでした。

信仰とは、毎日の暮らしのなかに表すもの。

拝むだけで終わらせない。
暮らしの一つひとつが行になる。

太十郎はそう考えていました。

そして、口で説くだけでなく、自分の手で国を豊かにしようとしました。
養蚕の仲間の輪をつくり、郷里の氷上郡から多紀郡、さらにあちこちの土地を歩いて、蚕を育てる仕事を広めていったのです。

人を取る川

その土地には、恐れられている川がありました。
篠見四十八滝から流れ出し、いまの兵庫県丹波篠山市のあたりを下り、氷上郡で久下川となって、やがて加古川に合わさる大きな川。
住吉のあたりから下流を、人々は「丹波の人取川」と呼んでいました。

水がかさを増すたび、おかしなことが起こるのです。

緋鯉が、鰻が、鯰が、水面にふっと姿を見せる。
大きな材木が流れてくる。
手を伸ばした人が、そのまま濁った流れに呑まれていく。

毎年、毎年、誰かが亡くなりました。
修験の人も、祈祷師も、何人も来て祓おうとしました。
けれど、効きめはありません。
犠牲になる人は、増えるばかりでした。

九年の祈り

太十郎は、この禍の根をなくそうと決めます。

明治15年1月6日。
天照皇大神さまに、大きな誓いを立てました。
そして、昼も夜も祈りつづけたのです。

明治24年1月5日まで、満9年。
家の仕事も手放して、ただ祈りに身を投じました。

大蛇が、枕元に

そして明治24年8月15日。
不思議なことが起こります。

眠っている太十郎の枕元に、大蛇が姿をあらわしたのです。

大蛇は、こう告げました。

我は太古よりこの大川に住む主神なり。
汝の信心の功徳により、自ら天に昇り、世の為め人の為めにつくすべし。
――わたしは、大むかしからこの川に住む主である。
おまえの信心の功徳によって、わたしは自分から天へ昇り、世のため、人のために尽くそう。

さらに大蛇は、
火の難、水の難、五穀の実り、雨乞い、養蚕の仕事——
そのどれにも力を尽くす、と告げました。

そうして、とうとい夢から覚めたのです。

そのときの歌が、残っています。

かげうつる天照る神の幸御魂 誠一つの外なかりせば
――水に影をうつす、天照る神の幸御魂。
まことという、ただ一つのほかに、何があるでしょう。

その日から、川の災いは不思議とやんだと伝えられています。

自天龍大神として

こうして、その神さまは「自天龍大神」としてお祀りされることになりました。

自ら、天に昇った龍。 

その名のとおりです。

明治27年旧暦6月30日。

いまの丹南町の孫兵衛ヶ渕で、
自天龍大神と、
川の神である大宮売神、
そして、この川で亡くなった多くの御霊をともにお祀りする祭りが、
大祀祭に合わせて初めて行われました。

これが「川裾祭」のはじまりです。

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著者情報

著者情報
安達 滋明神道神心境 東北本部 神主

マネジメント、人財育成、マーケティングを経験しながら不振店舗の業績回復、新規プロジェクト、研修講師、リクルートに数多く携わる。数年前から学んでいた康仁塾で鑑定師の資格を取得。
鑑定師として多くの悩み苦しむ方々のアドバイザーとして活動。

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