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自己紹介、私の歩み ‐ 私は一般的な家庭に生まれたわけではなく、独特な家庭で育ちました。

特殊な家に生まれて良かったこと

まず初めに、簡単な自己紹介をさせて下さい。

名前は安達滋明(アダチ シゲアキ)です。昭和52年5月10日生まれ、妻と、3人の子ども(娘2人、息子1人)を持つ父親です。たまにインスタグラムに登場するチビ神主くんは、3人兄弟の末っ子です。

生まれは白鳥の飛来地として有名な瓢湖がある新潟県阿賀野市(旧水原町)の瓢湖近くで自然豊かな土地で幼少期を過ごしました。

趣味という趣味はありませんが、今年から息子と釣りを始め、毎週末に2人で早起きして釣りに行くことにハマってしまいました。まだ初心者ですので、上手な方にアドバイスをいただきたいと思います!

またお酒を飲むことも大好きでストレス発散にもなっています。新潟は水が美味しく、酒処としても名高いです。お酒が好きな新潟県外の方は、ぜひ新潟にお越し下さい!あとはランニング、読書と家族旅行を計画することも密かな楽しみの1つです。

私は一般的な家庭に生まれたわけではなく、独特な家庭で育ちました。

祖父はお客様から「先生」と呼ばれ、毎日多くの方が待合室で待っていたのを覚えています。子供ながら、全国各地から旬の食べ物が送られてくるという贅沢を経験しました。

時代も良かったのか、お正月にはお年玉をお客様からもいただき、心の中では「ラッキー!!」と喜んでおりました。それも全て祖父のおかげで、その恩恵を受けていただけだと子供の私には理解できるわけでもなく。そんな幼少期を過ごしていました。

不自由を感じる自分

良いことを先に述べましたが、良いことばかりではありませんでした。

当社は専業で事業を営んでおり、私たちの住まいと事業場(神社)が半々です。そのため、土日でも私が心から休まる時間はありませんでした。

お客様がお越しになれば、祖母や母親から呼び出され、挨拶をする日々。昼寝をしていても叩き起こされることがありました。結婚して初めて妻の実家へ帰省した時、「何て静かなんだ!!」と感動したことを今でも覚えています。

お客様商売ですので、思春期に近づけば近づくほど友人の家が羨ましいと何度も思いました。またお客様商売は波があるものです。たくさんのお客様が来られた時の食卓は賑やかですし、誰も来ない時は静まり返る。その理由も子供ながらに感じておりました。

お客様商売ですので、思春期に近づけば近づくほど友人の家が羨ましいと何度も思いました。またお客様商売は波があるものです。たくさんのお客様が来られた時の食卓は賑やかですし、誰も来ない時は静まり返る。その理由も子供ながらに感じておりました。

あとは、ご存知の通り年末年始は皆無です。冬休みに入れば大掃除、元旦の準備の一員として駆り出されます。こたつに入ってのんびりテレビを見たり、買い物に出かけたり、旅行に行ったりすることはもちろん1度もございません。(当然ですが)旅行で思い出しましたが家族旅行も数えるくらいしかありません。

普通の家庭に生まれていたら、普通に体験できたことが体験できなかったことは子供心に不自由だなと思っていました。

鬱になる

特殊な家庭に育った私ですが、お陰様で高校、大学と進学させてもらえました。

大学4年生の時、新潟県内の企業から内定をいただき、希望に満ち溢れた日々を過ごしていました。

大学3年生の頃、両親が離婚してしまい、何か頑張らなければ、家業を継ぐ訳ではないが母親の力にならなければと潜在的にはずっと思っていたのかもしれません。その頃からお札を書く仕事は、書道を習っていたせいか、私が担うようになり、自分なりに使命感を持って取り組んでいました。

無事に大学を卒業し、新社会人としてスタートしましたが、勤めて半年ほど経過したある日、自分の中の何かが突然プツンと切れたように感じました。

今振り返ると若かった、甘かった、ワガママだった、不器用だったといろいろな感情が芽生えるのですが、その時は勤めながら家業を裏で支える自分の限界を越えてしまったのだと思います。

何もやる気が無くなり食べれない、眠れない、だるいという毎日で、就職したばかりの職場を退職せざるを得ませんでした。あんなに母を支えようと意気込んでいた家業の裏方も出来なくなった私は完全に塞ぎこんでしまいました。

そのような状態は約2年ほど続きました。その間に、心療内科に通院し、精神安定剤や睡眠薬も服用していました。支えなきゃと思っていた母に世話になっている負い目を毎日感じていました。

「終わった」「俺は使えない奴だ」「生きる価値がない」

毎日こんな言葉を唱えていたというと信じられないと思う方もいらっしゃると思いますがこれは実話なんです。

しかし外傷もない私に嫌気がさした母親から、とうとう家から出ていくように命じられます。母はこれは懸けだったと言いますが、私の甘さを見抜いていたのかもしれません。実家を追い出され、1人暮らしを始めた私は、鬱という症状より、これから自分の力で生きていかなくてはという気持ちが勝っていました。

限界突破する

追い出されて1人で生きていかなければならなくなった私は、求職活動を始めます。そこで見つけた会社が、私の運命を変えてくれました。見習いから始めたこの私には非常に厳しい環境でした。毎日辞めたい辞めたいと呪文のように唱えていましたが、当時お付き合いしていた方(今の妻)のために、弱さを押し殺して必死に頑張っていました。

覚えることも多く、ミスすると厳しく叱責される毎日。朝は早く、夜は遅いという生活でしたが、仕事を覚える楽しさもどこか感じていました。ある日、上司から

「毎日目標を持って1年頑張るのと、ただ毎日仕事するのかどちらが成長すると思う?」と聞かれて私は「目標を持つ人です!」と答えました。

それが目標や夢を叶えることとの出会いでした。

車関係の会社で、人材に投資を惜しまない会社でしたので、働きながら多くのことを勉強させていただきました。県内外で業績が良い会社を業種問わず見学したり、組織論やリーダーシップ、マネジメント、自己啓発、心構えや考え方などを学びました。学びとともに昇進していき、その頃には自分が鬱だったこともいつの間にか忘れていました。ビジネス全体が好きで好きでしょうがないくらい仕事にのめり込んでいきました。

正直な話をすると家業を継がずにビジネスの世界でやっていこうか悩むほどでした。

厳しく、心身ともに苦しかったですが、この会社員生活を通じて自分の限界や枠を壊せたと思っています。以前はネガティブだった自分が、ワクワクドキドキしたり、目の前の物事をポジティブに捉えられたりと、否定的な部下や同僚を励ますことのできるようになりました。私が在籍していた当時よりも、会社は更に大きくなっており、10年以上研鑽させていたことを今でも感謝しています。

家業を継いで

本格的に家業と向き合って2年が経とうとしています。

周りから「無理だよ」「あなたには出来ない」と言われ、自分でも合ってないんだと勝手に思い込んでいたのかもしれません。ただ、また別の機会にお話しますが、宿命を読み解く学びを積み重ね、その知見からも役割として合っていると感じます。

周りから「無理だよ」「あなたには出来ない」と言われ、自分でも合ってないんだと勝手に思い込んでいたのかもしれません。ただ、また別の機会にお話しますが、宿命を読み解く学びを積み重ね、その知見からも役割として合っていると感じます。

学問的にはそうであっても最初は本気になれませんでした。体験がないため無理もありませんが、、当社や私の知名度を上げる方法、知ってもらう方法を見つけることが、この2年間で最も苦労してきたことです。

人生では様々なことが起こりますが、その方々悩みや痛みに寄り添うことは非常にやりがいに感じます。祖父の代から個別で親身に寄り添う姿勢はこれからも踏襲しつつ、悩み苦しむ多くの方に「当社に来て良かった」と言われる場所を目指します。

また、私が現在行っている活動については改めてお話させて下さい!

著者情報

著者情報
安達 滋明神道神心境 東北本部 神主

マネジメント、人財育成、マーケティングを経験しながら不振店舗の業績回復、新規プロジェクト、研修講師、リクルートに数多く携わる。数年前から学んでいた康仁塾で鑑定師の資格を取得。
鑑定師として多くの悩み苦しむ方々のアドバイザーとして活動。

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